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少し個人的な歴史 |
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| 翻訳 : Hiroshi Hirakawa |
アルゼンチンの工房では、ガラスの壁や天窓を通してたくさんの光が射し込み、その景色は
私の住んでいたこの広大な森の中に時間を忘れさせるほどでした。時々私はこのようにリラックスすることができました。
ヨーロッパに着いた私はすぐに、現在マドリード交響楽団のコントラバス奏者である
Ruben Giorgis の許で働き始め、トラディショナルな楽器製作が私の前に開けました。
アルゼンチンロックのギタリストLuis Alberto Spinetta のテクニシャンとして働いた日々は
遠い過去のように思えました。1996年.
そし私は I.P.I.A.L.L. (cremonaの製作学校)マエストロ Maurizio Tadioli. 指導の許
で勉強しはじめました。
イタリアで見たいくつかの音楽フェスティバルは全く新しい音楽感覚を私に与え、
楽器制作においても知識を豊かにしてくれました。また伝統演劇のグループに加わり
クレモナや近隣の町での公演に参加する事ができました。
1997年、楽器製作に使える時間がもっと欲しかった私は学校をやめる事も考えていました。
しかしマエストロに助言され1998年も学校を続け、ストレスを感じながらも
制作 1999年7月、マエストロGiorgio Ce の許で卒業した私は12月から最後のステージといえる
見習い期間の実践をマエストロ 。 Grisales , の指導で試みることになりました。
期間終了後ロンバルディア州地方委員会から卒業証書を与えられました。
制作したバイオリン 。 "Vulcano" は、私のウェブサイトのギャラリーで見ることができます。
この後も私は 。Grisales-Russ 工房で仕事を続けることになりました。
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2001: 年からはコミュニケーションのためにウェブサイトの利用も始めました。 。
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私が工房の中で過ごした私の人生の一部、何年ものイタリアでの時間は、楽器製作に必要な視野を広げて 教養を深め続けること、そして私の制作への興味を強固にさせました。 私はふさわしい期間をイタリアにとどまることに決め、2001年の終わりには家を購入しました。 けれども私は私の旅を続ける事もまた決めていました。 |
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2004: 日本では基本的に弦楽器の修理とメンテナンスを行っています。 www.kurosawagakki.com |
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| 2006 | 私は日本二胡振興会の会員となり、
バイオリンと二胡という、タイプの異なる木製楽器の間に実験的な架け橋を設けるべく、 二胡奏者たちとの交流を始めました。 |
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